05.05
モトGP取材紀行~初のカタールと夜のタクシー編~
カタールのハマド国際空港に着いたのは、夜の10時近くだった。
MotoGPの取材のためにやって来たカタールは、わたしにとって初入国である。初めての中東ということもあって、少しばかり肩に力が入っていたかもしれない。不安や緊張を生むのは、いつも無知だ。それに対する認識が漠然としていて「知らない」から不安が募る。けれどその不勉強は、たどり着く前にいくらインターネットを駆使して調べても、解消されることはない。その場所で時間を過ごし、人の感情に触れ、身を馴染ませなければ──いや、例えそうしたとしても、たった1週間ばかりでは、不安が解消するほどに「その国を知った」とは思えない。
どきどきしながら入国審査を終えて出口を出ると、予約していたタクシーの迎えの若者が待ち構えていた。20代半ばくらいの、すらりとした青年である。てっきりタクシードライバーなのかと思ったら、どうやら青年は、タクシーを頼んだ客を出迎える専門らしい。
いつもならばタクシーはあまり使わない。空港でレンタカーを借りて、そのままホテルに行く。または、公共交通機関で移動する。電車やバスを使うのは、ほんの少しでもその土地の様子やその国の人と同じ空間を共有したいからだ。けれど今回は、あらかじめタクシーを予約しておいた。初めて行く国で夜10時に移動するという状況を考えた。一人で旅をするので、「安全」は頭の真ん中にへばりつくように固定されている。へばりついたそれは、やっぱり脳内に居座る「カタールに対する無知」と一緒になって「今回はタクシーを呼んだ方がいいよ」と言った。わたしも「確かに」と思った。
タクシーを待つ間、空港のやけにきらびやかな駐車場の写真を撮ることにした。駐車場の明るさが目にまぶしい。不思議なもので、駐車場周辺の雰囲気だけで、中東らしさが漂っていた。そして、その明るさも。すると青年が「こちらにいい場所がある」と、フォトスポットに連れていってくれた。どうやら「インスタ映え」するスポットに案内してくれたらしい。
歩きながら「観光に来たの?」という彼の質問に「MotoGPのために来たんだよ」と答える。青年は一瞬、何を言われたのかわからない、という顔をした。そんな青年にもう一度、「MotoGP」と言う。やっぱり不思議そうな顔をしている。どうやら、MotoGPはなじみのないスポーツらしい。
「サーキットをバイクで走って競うスポーツがあって、そのために来たんだよ。MotoGPって見たことはない?」
そう説明すると、彼は「MotoGPって聞いたことがないなあ」と言った。おや、そういうものか。これまでに行ったヨーロッパで「MotoGP」という単語を出せば通じていたことに、わたしはそのとき初めて気が付いた。
青年は、「撮ってあげるよ」とわたしのスマホを使って写真まで撮ってくれた。そしてタクシーが来たのを確かめると、また空港出口に戻っていった。きっと彼は仕事が終わるまで、出口から出てくる客を出迎えてタクシー乗り場まで送り、時々写真写りのいいスポットに案内し続けるのだろう。
「MotoGPのためにカタールに来たんだけど」
タクシーに乗り込み、タクシードライバーに話しかける。インド人だという。「ああ、MotoGPね」と彼は言った。タクシードライバーは大抵のことを知っているように思う。きっと、様々なお客さんと会話するからなのかもしれない。
彼はMotoGPを見に来た客に慣れているようで、「観戦に来たというドイツ人の家族を乗せたよ」と、うなずいた。
「このあたりは古い街なんだ。でも、サーキットがあるあたりは新しい街だよ」
空港周辺の道路には、模様が描かれたパープルの円柱型のライトが立ち並んでいた。水辺の中にもライトが光っている。これまでに見たどの都市とも違う明るさだった。何本もパープルの円柱を見送いるうちに、ざわざわとする感じが「家電量販店みたいなんだな」と気が付いた。
そこまで明るくしなくてもいいじゃないか。そこまで全部のテレビをつけっぱなしにしなくてもいいだろう。そんないたたまれなさがあった。きっと、わたしが日本ら来たからだろう。カタールは全く違うルールで動いていたし、日本とは違う光の強さで夜を照らしていた。
後日談になるが、日本に帰国するとき、トランジットがカタールだった。太陽が沈んで真っ暗になった上空から、カタールの街並みが見えた。驚くほどに明るかった。そのときもまた「家電量販店みたいだな」と思った。
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MotoGPや電動バイクレースMotoEを取材して記事を書く仕事をしている、伊藤英里と申します。
「モトGP取材紀行」は、わたしがMotoGP取材のために各国を訪れた旅の記録をつづる、備忘録的日記です。
こちらは2024年MotoGP開幕戦カタールGPへ取材に行ったときのもの。
初めてのカタールでした。