08.14
水辺のイカスミパスタ~モトGP取材紀行~
食に関して、イタリアには絶大な信頼を置いている。
わたしは食について関心が薄いたちで、食事を「生きていくのに必要なエネルギーを摂取する行為」くらいに考えているので、味についてはかなり無頓着なのだ。もちろん、美味しいものを食べたら幸せだし、「美味しい!」と感動もする。ただ、その「美味しい!」という経験を、積極的にしたいと行動する類いの人間ではないと思う。
しかし、イタリアンについては話は別だ。円安の影響で決して安くはない外食をするには慎重にならざるをえないものだけど、イタリアンはわたしにとって、「どこで何を食べても大概美味い」ので、安心できる。
だから、ヴェネツィアのレストランでイカスミパスタを頼んだのも、イタリアンに対する大きな信頼があったからなのである。これまで、わたしの「食べるもの・食べたいものリスト」にイカスミパスタという選択肢はなかった。しかし水の都ヴェネツィアでは、イカスミパスタが美味いという。ぶらりと入った小さなレストランは細い水路沿いにあって──といってもこの街はどこもかしこも水路が流れているのだけど──、しつらえられた真っ白なテーブルクロスと白いお皿、銀色のカトラリーがセッティングされた二人掛けの水路脇のテーブルに座っていると、ふんわりと潮の香りが漂ってくる。心を決めるのに、大きな理由は必要なかった。
すぐそばを流れる水路には、細くて長い舟が往来している。たった1本のオールと体重移動で、船頭さんがするすると狭い水路を通り、曲がっていく。その様子がとても巧みで美しい。水路を挟んである別のレストランの建物部分には、水路の水量が過去にどこまで上昇したのかを示す線が見えた。舟が通るたびに、ゆらゆらと水面が揺れて、その線が見えたり見えなくなったりする。3階、いや、4階建ての建物だ。つくづく、こんな水のなかに、どうやってこれほどの建物を建て、街を作ったのだろうと、不思議でたまらなくなる。また別の舟が、するすると水路を通り抜けていく。
食について関心の薄いわたしは、海外に行ってもその土地や国の名物を食べずに去ることが多い。例えば、スペインには何度も行っているが、いまだにパエリアを食べていない──しかし、あれは一人でレストランに行って、注文できるものなのだろうか?(そういうことも知らないまま時が流れている)
ハモン・セラーノに至っては、ようやく昨年、知ったくらいだ。そして、そのあまりの美味しさにハマったわけだが、その中でもこれがウマイとかあれがいいとか、そういうことを調べたりはしない。なんというか、ただの面倒くさがりのような気もする。
水路をぼんやりと眺めていると、オーダーを受けた女の子がイカスミパスタを運んできた。真っ白なお皿と真っ白なテーブルクロス。真っ黒なイカスミパスタ。聞こえてくる子供のはしゃいだ笑い声と、向かいのテーブルに座ってゆったりとお酒を楽しむ老夫婦。するすると水路を行きかう舟が立てる水の音。少しずつ物が輪郭を失っていく、黄昏の時間だった。
ヴェネツィアで初めて食べたイカスミパスタは、やっぱり美味しかった。
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MotoGPや電動バイクレースMotoEを取材して記事を書く仕事をしている、伊藤英里と申します。
「モトGP取材紀行」は、わたしがMotoGP取材のために各国を訪れた旅の記録をつづる、備忘録的日記です。
今回の記事は、イタリアに滞在していた時に半日だけ時間を捻出して行った、ヴェネツィアでのお話。
ヴェネツィアは本当に美しい街ですね。
今度はもう少し時間をとって、ゆっくり歩いてみたいです。