2024
06.28

言葉という旅の処世術~モトGP取材紀行~

モトGP取材紀行

 旅の間、心掛けていることがいくつかある。

 そのうちの一つは「“こんにちは”と“ありがとう”は、その人の国の言葉を使うこと」だ。もちろんまだあるけれど、これは特に強く心掛けているものの一つである。

 MotoGPフランスGPの取材を終えてから、しばらくブルガリアの首都ソフィアに滞在していた。民泊だったので滞在先のおかあさんと娘さんがいて、彼女たちは英語を話すことができた。

「どうして英語が話せるの?」と娘さんに聞くと「以前のパートナーがネイティブ・イングリッシュを話す人だったから」と言う。スーパーマーケットではほとんど英語が通じなかったけど、レストランの若いスタッフには英語をペラペラ話す人もいた。

 ブルガリア語はキリル文字というアルファベットとは違う文字を使って表記されるのだが、街に立つ地名などの看板は、キリル文字とアルファベットが併記されていた。そんな具合だったから、日本語と少しばかりの英語しか話せない外国人であるわたしでも、暮らしていくのに困らなかった。

 けれど、ブルガリアに行くまでに、ブルガリア語を覚えた。覚えたのはたった二つ。「こんにちは」と「ありがとう」。同じくキリル文字で表記されるロシア語になんとなく近いような気もするブルガリア語は、英語などとは発音が違っている。わたしはロシア語を大学で2年間学んで、ほとんど記憶に残っていないと思っていたが、それでも記憶の痕跡はあるもので、わたしのなかにわずかに残っていたロシア語はブルガリア語の発音を助けてくれた。

 余談ではあるが、ソフィアに滞在しているとき、外を歩いているとき現地の人が「チャオ」とあいさつしているのを何度も見かけた。イタリア語……? と不思議に思って、滞在先のおかあさんに聞くと、イタリアと同じように、ブルガリアでも「やあ」、「バイバイ」のような意味で「チャオ」と言うらしい。さらには「メルシー(フランス語でありがとう)」を使うこともあるいう。ヨーロッパは地続きなので、言語も交流が盛んなのだろうか。こんなとき、自分が島国の日本で育ったことと、自分が持っている「通念」が「ここではそうではない」と知る。以前は戸惑っていたが、新しい価値観によって、今では自分の通念がふにゃふにゃになっていくことを面白がっている。

 ブルガリア語は口が慣れるまでに時間がかかった。がんばってぶつぶつと練習して、「こんにちは」とブルガリア語で伝えたら、滞在先のおかあさんがとてもうれしそうににっこりしてくれた。ああ、ちょっとこの人たちに近づけたのかな? そんな風に思った。

 ソフィアの滞在中にどうしても食べたくなってマクドナルドに行ったら、ちょっと小太りの店員さんは英語がほとんどわからなくて、少しだけ不愛想だった。こちらは英語しか話せないからなあと思いながら、最後に「ありがとう」とブルガリア語で伝えた。すると彼は、少し照れたように笑って、言葉を返してくれた。きっと、「どういたしまして」と返してくれたんだろうと信じている。

 また別の日には、韓国食材店に行った。この手の食料品店には日本の食料品を売っていることが多いのだが、まさしくその通りで、インスタント味噌汁や紅ショウガなどが売られていた。(ところで、日本の食料品店ではよく紅ショウガを見かけるのだが、これは一体どういう需要なのだろうか?)レジにいるのは、アジア系の男性である。会計をしてもらいながら英語で「韓国の方ですか?」と聞くと「そうだよ」と言う。

 ブルガリアにいた約2週間、ほとんど部屋に閉じこもって原稿を書き、夕方の1時間だけスーパーマーケットに行って買い物をする生活だったので、どのくらい正しいのかわからないが、アジア系を見かけたことはほとんどなかった。韓国人も、中国人もいない。もちろん、日本人に会ったこともない。だから、勝手に「仲間意識」みたいなものが芽生えちゃったのだ。

 奥底に眠っていた韓国語の知識を掘り起こして、店を出るときに「カムサハムニダ」と伝えた。一瞬驚いた顔をした彼が、何かを探すような表情をして、それから「あり……がとう?」と言う。ああ、その言葉を探していたんだ。わたしも彼も、にっこりと笑った。それで十分だった。そこには「ありがとう」以上のやりとりがあった。

「こんにちは」と「ありがとう」をその国の言葉で話す、というのは、そのコミュニケーションによってわたしという存在を「他人」から「そういえば知っている人」に上げる作業の一つでもある。わたしは「この場所」で「生きて」いかなければならないから、自分に有利な状況と情報と、味方が必要なのだ。

 でも、もちろん、そればっかりというわけではない。だって、誰も日本人がいない場所で「ありがとう」と日本語で言われたら、ただただ、うれしい。わたしも彼ら彼女らにお返しがしたくて、その国の「こんにちは」と「ありがとう」を覚えている。
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MotoGPや電動バイクレースMotoEを取材して記事を書く仕事をしている、伊藤英里と申します。
「モトGP取材紀行」は、わたしがMotoGP取材のために各国を訪れた旅の記録をつづる、備忘録的日記です。
こちらは2024年MotoGPフランスGPの取材のあと、ブルガリアの首都ソフィアに滞在していたときの話です。
というかわたしが心掛けていることの話なのですが、ソフィアにいるときに特にその影響を感じたので、ブログにしてみました。
初めて訪れる国ということで、緊張もあったから、よけいに印象に残ったのかもしれません。
ところで、ブルガリアはやっぱりヨーグルトがとても有名らしいですよ。

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

ソフィアの道は、全部ではないけどタイル地のようになっていた

ソフィアの地下にはセルディカ遺跡というローマ時代の遺跡が残っている。こんな風に、商業施設のなかにも保存されている

すごく立派な歴史の長そうな建物がいくつもあった

道には路面電車が走り、クルマもたくさん。バイクはあまり見かけなかったが、ブルガリアのバイク事情、どうなのだろう

ブルガリアは交通量が多い道でも歩行者用信号機が少ない! 横断歩道には注意書きが。たぶん「左を見て!」だと思われる。ちなみに、ブルガリアは右走行

標識にはキリル文字とアルファベットが併記されている

ヴァンニッツァというブルガリアンフードをいただいた。チーズと卵のパイらしい。とてもおいしい!